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古語拾遺とは?
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ウィキペディア目次へ古語拾遺(こごしゅうい)は平安時代の神道資料である。
官人であった斎部広成が大同2年(807年)に編纂した[1]。
全1巻。目次
1 成立
2 選者
3 目的
├3.1 愁訴陳情書説
└3.2 調査報告書説
4 内容
5 影響
6 研究
7 刊行本
8 脚注
9 関連項目
10 外部リンク
807年(大同2年)2月13日に書かれたとされている。
大同元年(806年)とする写本もある。
だが、跋(あとがき)に「方今、聖運初めて啓け…宝暦惟新に」とある。
このことから、平城天皇即位による改元の806年(延暦25年・大同元年)5月18日以降であることがわかり、「大同元年」説は誤りということが分かる。
『日本後紀』の大同元年8月10日の条に、『以前から続いていた「中臣・忌部相訴」に対する勅裁があった』とある。
この条文から、「大同元年」論者は『古語拾遺』をこの勅裁に先立つ証拠書類だと考えた。
しかし、本文にはこの8月10日の出来事を前提に書かれているので矛盾することとなる。
斎部広成の伝記は『日本後紀』の808年(大同3年)11月17日の条に「正六位上」から「従五位下」に昇ったとあるのみで、ほかのことはわからない。
ちなみに、この昇階は平城天皇の大嘗祭の功によるものだろうという。
ところが、本書の跋には「従五位下」とあり、807年(大同2年)当時は「正六位上」だったはずである。
これは後世の改変だと考えられている。
元々、斎部氏は朝廷の祭祀を司る氏族だった[1]。
しかし、大化の改新以降、同様に祭祀を司っていた中臣氏(藤原姓を与えられたが、後に別流は中臣姓に戻された)が政治的な力を持ち、祭祀についても役職は中臣氏だけが就いているという状況だった[1]。
本書は斎部氏の正統性を主張し有利な立場に立つために著されたものであると考えられる。
「愁訴陳情書説」が古くから唱えられていた。
現在では朝廷が行なった法制整備のための事前調査に対する忌部氏の報告書であるという説が有力である。
伊勢神宮の奉幣使の役職をめぐって忌部氏と中臣氏の間で長年争われてきた。
大同1年8月10日に忌部氏に対する勝訴判決が出ている。
本書が上程された大同2年2月13日はこの判決の後である。
「勝訴」のあとに陳情を出すのは不自然なことから、「愁訴陳情書説」は説得力を欠くことになる。
ときの天皇である平城天皇は式(律令の施行規則)を制定する方針をもっていた。
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