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南郊とは?
目次
1 定義と特徴
2 歴史的展開
├2.1 郊祀制度の変遷
├2.2 宗廟制度の変遷
├2.3 即位儀礼
├2.4 天皇の即位儀礼「大嘗祭」との関連性
└2.5 『大唐開元礼』における各祭祀と皇帝の自称との関係
3 参考文献
皇帝祭祀は秦の始皇帝に始まる。
漢代には祭祀制度として整えられ、周以来の「天子」と、始皇帝以来の「皇帝」が祭祀制度においても使い分けられていた。
皇帝祭祀は、史書では郊廟としてあらわれており、皇帝の祖先を祭る宗廟で行われるものと、都の郊外で行われる郊祀に分けられる。
また、郊祀は天の主宰神への祭祀である南郊と、地の自然神への祭祀である北郊とに大きく分けられる。
唐では皇帝祭祀の体系が整えられ、『大唐開元礼』にまとめられた。
宋代以降『大唐開元礼』は国家儀礼書の典範として重んじられた。
『大唐開元礼』は、国家祭祀を大・中・小に大きく分けている。
皇帝祭祀は漢民族の王朝だけでなく、南北朝時代の北朝や遼、金、元、清などの異民族王朝でも行われており、多少の変容はしつつも皇帝制度とともに継続された。
また日本の天皇が執り行う宮中祭祀(新嘗祭など)にも影響を与えた。
皇帝祭祀の起源については諸説があるが、今日一般的と思われる説明に従えば、楚や蜀などで行われていた自然神に対する祭祀である社禝と、周で行われていた祖先神に対する祭祀である宗廟を合わせたものである。
これに秦の始皇帝の執り行った封禅に由来すると考えられている郊天を合わせ、天を祭る南郊、地神を祭る北郊、祖先を祭る宗廟により成り立っていると考えられている。
これを郊廟という。
これに従えば、皇帝祭祀は南方の長江起源の祭祀と北方の黄河流域起源の祭祀が組み合わさって成立したもので、秦漢帝国によって果たされた中国世界の統一を祭祀の上でも実現していた。
前漢の祭祀制度においては、天の祭祀は国都の南の郊外で冬至に行われ、地の祭祀は北の郊外で夏至に行われた。
このことから天の祭祀を南郊、地の祭祀を北郊といった。
この2つを合わせて郊祀というが、一般に南郊が尊ばれたので、郊祀という場合南郊のみを指す場合も多い。
また正月に行われた天地合祀は南郊で行われた。
後漢時代になると、南郊は正月に1回行われるのみとなり、北郊は10月に行われるようになったと考えられている。
この郊祀は皇帝が直接執り行うものではなく、臣下を代理として執り行われた。
このように臣下が皇帝の代理を務めて国家祭祀を行うことを「有司摂事」という。
南北朝時代は、北朝で鄭玄に基づく礼説、南朝で王粛に基づく礼説が行われた。
そのため、北朝では南郊は有司摂事で行われる例が多いが、南朝では南郊を皇帝が親祀するようになった。
唐の時代には、郊祀のような定期的な祭祀はほとんど有司摂事で行われ、不定期の特別な祭祀のみ皇帝が親祀するという形式が整えられた。
これは北朝の形式を継承したものといえる。
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