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北都銀行とは?
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1992年(平成4年)当時、秋田県内における銀行の勢力図は、資金量1兆5000億円を誇るトップ地銀の秋田銀行を筆頭に、6000億円の羽後銀行、3000億円の秋田あけぼの銀行が続く一強二弱の体制となっていた。
羽後銀行は、1995年(平成7年)に迎える創業百周年にむけ、資金量9000億円の達成のため業容の拡大に取り組んでいたが、自己資本比率規制によりむやみに資産は増やせない状況下にあり、徹底した合理化を図るにせよ資金量は1兆円は欲しいと考えていた。
一方、秋田あけぼの銀行は1991年(平成3年)には、合理化推進のため実業団野球チームを解散したほか、これからのコンピュータ投資には最低1兆円の資金量が必要であると認識しはじめていた[9]。
この資金量1兆円への渇望が、両行が合併に向う大きな誘引となった。
また、今後一層の、金融の自由化、国際化が進展し多様化する顧客ニーズに対しても収益状況に余裕のある段階での合併が最良であると判断もした。
1993年(平成5年)4月1日に誕生した北都銀行は、合併時の店舗合算が131か店となり秋田銀の107か店を上回る体制となったため、これを有効に活用しリテールバンク「大衆金融」に徹し、地元中小企業や、個人事業主に対する資金提供、経営相談に特化する戦略が打ち出された[9]。
合併当初は、県内を代表する二大銀行のひとつとして、行内外より歓迎を受け創業百周年にあたる1995年(平成7年)には、盛り上がり業績も順調に伸びていた。
この時点では、2005年(平成17年)の創業110周年を目処に、秋田県の企業としては2社目となる東証一部上場を計画していた。
しかし、その後の長期不況やデフレの進行により秋田県経済も深刻度を増した上、1995年(平成7年)に始まった金融制度改革の荒波にもまれ経営は苦戦を強いられた。
北都銀もその渦中には、2003年(平成15年)までには53か店の統廃合や人員削減中心の合理化策を講じるも、2期連続の赤字計上となり効果がうまく生かされなかったほか、行員の不祥事により金融庁から業務改善命令を受け、ついには齋藤隆夫頭取(当時)が引責辞任に追い込まれるほど経営は、混迷を極めた。
そして、収益力の脆弱さを補うべく講じられていた積極的な有価証券運用あるいはデリバティブ取引が、サブプライムローン問題やリーマンブラザース破綻による市場の混乱により、あだとなってしまい、2008年(平成20年)3月末には、120億円超える含み損を抱える事態となり自己資本比率も5.58%に低下するなど非常事態をむかえるにいたった。
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