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北の方とは?



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北政所(きたの まんどころ)とは、平安時代三位以上の公卿正室の呼び名。
また後に、宣旨をもって特に授けられた摂政関白の正室の称号。

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1 概説
1.1 「北政所」称号の成立
1.2 平清盛の娘たちの場合
1.3 三条西実隆の娘の場合
1.4 太閤秀吉と北政所ねね
2 出典・補注
3 関連項目
4 外部リンク

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概説
「北政所」称号の成立

平安時代の親王や三位以上の公卿には、自身の家庭や邸宅に関する私的な諸事を司る事務所を自邸内に開設することが許されていた。
このような私的な事務所のことを、「家政を司る所」という意味から政所といった。
当時の貴族寝殿造とよばれる、数々の家屋を渡り廊下でつないだ内裏のような構造の邸宅に居住していた。
そこでは、半ば公の場所でもあった正殿の「寝殿」とは別に、その北に「北対」という私的な居住棟があり、そこでは主の正室である北方(きたの かた、北の方とも)が家政の諸事万端を決裁していた。
正室の地位がこのように高かったのは、当時の貴族は基本的に婿取婚だったため、彼らの邸宅はそもそも正室の実家が所有するものに他ならなかったからである。
そしてその邸宅の主が三位に上って政所を開設すると、「北方」は「北政所」と呼ばれたのである。
したがってかつては、三位以上の公卿の正室はみな「北政所」と呼ばれていた。
しかし時代が下るとこれが格式化して、「北政所」は宣旨をもって贈られる称号となり、しかもその対象は摂政または関白正室のみに限られるようになった。
平清盛の娘たちの場合

平安時代末期に摂関家が分裂して五摂家が成立し、これに伴って摂政関白の交替が頻繁に行われるようになると、同時期に複数の北政所が存在するということも珍しくはなかった。鎌倉時代に成立した『平家物語』の巻一には入道相国平清盛の子らについて語られる章がある。
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