全懌の解説頁です。 Weblio辞書辞典>辞書・百科事典>全懌

全懌とは?



ウィキペディア
全 懌(ぜん えき、生没年不詳)は、三国時代の武将。に仕えた。全琮の子。
全緒、全寄の弟。
全呉の兄。従兄全端
甥に全禕(全輝)・全儀・全静。
全琮の死後、その爵位を継ぎ、兵士を預かった。
257年5月、において諸葛誕が反乱を起こすと、孫亮を擁し孫綝はそれを支援するため援軍として、文欽唐咨・全端ら歩兵と騎兵3万の軍を先行して派遣させた。
文欽らは魏の王基の敷いていた包囲網が完成する前にこれを破って寿春城に入城した(「諸葛誕伝」、「孫亮伝」、「孫綝伝」)。
この軍には全懌ら全一族のほとんどが参加し、甥の全禕・全儀(全緒の子)だけが建業に残っていた(「全琮伝」、「鍾会伝」)。
6月には寿春城は司馬昭の派遣した追討軍が各地から到着し寿春は二重三重に包囲された。
後続の朱異の軍は破られてしまい、9月には孫綝は朱異を斬り撤退してしまった(「諸葛誕伝」、「孫亮伝」、「孫綝伝」)。
こうして全懌らは諸葛誕と共に城中に孤立することになった。
同年11月、甥の全禕・全儀が一族内での争いの末に魏に亡命にする事件が勃発した(「孫亮伝」、「鍾会伝」)。
魏の鍾会は彼らを利用して城内の全懌らを降伏させようとし、呉では全懌ら援軍の諸将の一族を処刑しようとしている、という内容の手紙を書かせて全懌らの所まで届けさせた。
全懌らは恐れおののいたという。
12月、全懌は、全端・全静と共に数千人を引き連れて魏に降伏した(「諸葛誕伝」「孫亮伝」)。
全懌は平東将軍、臨湘侯に封じられ、共に降伏した一族も郡太守に任じられたり列侯に封じられたりした(「全琮伝」)。
小説『三国志演義』では、全端の弟とされている。

(出典:Wikipedia 2010/10/20 18:42 UTC 版)

ページTOP▲

楽に探せる!楽ワード


ページTOP▲
Weblio辞書辞典
「全懌」の記述に関する著作権




ランダム表示|登録辞書一覧
Weblio辞書辞典

お気に入りに登録
友達にも教える
「全懌」の記述に関するお問合せ

Weblio辞書辞典|ヘルプ|お問合せ
©2012Weblio