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井伊直親とは?




井伊 直親(いい なおちか)は、戦国時代武将今川氏の家臣。遠江国国人井伊氏当主。井伊直満の子。
目次

 1 生涯
 2 登場する作品
 3 脚注
 3.1 注釈
 3.2 出典
生涯

天文13年(1544年)、小野政直の讒言によって父を今川義元に誅殺されると、更なる誅殺対象になりかねない幼少の直親は家臣に連れられ、井伊谷を出奔。
祖父・直平から龍潭寺の住持に招聘された文叔瑞郁禅師の縁を頼って、武田領であった信濃国伊那郡松源寺へ落ち延びた。
成人した後、弘治元年(1555年)に井伊谷への帰参が叶うと、祝田(静岡県浜松市北区細江町)を拠点とした。
永禄3年(1560年)、従兄であり養父でもある直盛桶狭間の戦いで戦死したため、家督を継ぐ。
しかし当時の遠江国は「遠州錯乱」と呼ばれる混乱状態にあり、直親は小野政直の息子・小野道好(政次)の讒言により、主君の今川氏真から松平元康(のちの徳川家康)との内通の疑いを受ける。
縁戚であった新野親矩の取りなしで、陳謝のために駿府へ向かう道中の永禄5年12月14日(1563年1月8日)または同年3月2日[注釈 1]掛川で今川家の重臣・朝比奈泰朝の襲撃を受けて殺害された[3]
享年27。
直親殺害の背景には、支配領域が三河に近い井伊氏の中で、親今川派と反今川派で政治的な対立があり、直親が反今川派で元康に接近して、小野が親今川派であったのかもしれないとする指摘がある[4]
これにより井伊氏は一時的に衰退した。
家督は養父直盛の娘でかつて許嫁であったとされる直虎が継いだ[注釈 2]
嫡男の虎松は三河鳳来寺などにかくまわれ、15歳の時に徳川家康に仕えるとともに直虎に代わって当主となり、のちの徳川四天王である井伊直政となった。
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