Weblio辞書辞典>辞書・百科事典>ロザン>ロザンの3ページ目
ロザンとは?
オーディションが「sabiki」「WaChaChaブレイク」と名前や形式が変わっても挑戦し続け、初挑戦から1年半後にロザンは合格した。
宇治原は3回生、菅は2回生になっていた[11][7]。
オーディションではともに現役大学生であることを話していなかったため、合格時に書かされたプロフィールの学歴欄に京大、大阪府立大の文字を見た吉本興業の社員は驚き、翌日には関西のスポーツ新聞全社から取材を受けたという[7][9]。
1998年2月、心斎橋筋2丁目劇場のイベントで、プロの初舞台を踏んだ[13][14]。
プロデビュー直後は、心斎橋筋2丁目劇場での舞台が月に数回ある程度であり、アルバイトをしながら舞台に立っていた。
1998年の夏、CSの番組で放送された、心斎橋筋2丁目劇場オーディションを合格した約20組で争う「新人王決定戦」で優勝。
この頃からファンが付き、ファンレターが毎日来るようになる[11]。
1999年3月に心斎橋筋2丁目劇場が閉鎖された後は、新たに建てられたbaseよしもとを拠点とする。
高学歴ということから、赤本にサインを求められるなど、受験生のアイドル的存在ともなった[15]。
1999年の10月には、『クヮンガクッ』(毎日放送)で初めてテレビに出演。
千個のハンコを、街を歩く同じ名字の人に配るというもので、終わるまでに39時間かかったという[15]。
2001年、『紳助の人間マンダラ』(関西テレビ)の企画で、ランディーズ、キングコングと共にダンスユニット「WEST SIDE」を結成。
CD・写真集等を発売し、関西でブレイクした[16]。
2001年に初めて、baseよしもとで単独ライブを開催した。
この単独ライブは、うめだ花月、ルミネtheよしもとなどで、2011年現在まで毎年複数回行っている。
この頃はアイドル系の顔をしている[17]菅の方の人気が高く、宇治原はWEST SIDEでも顔のことでいじられるオチを担当する[16]など、いわゆるブサイクキャラであった[18]。
2003年にbaseよしもとを卒業する。
2000年代初期のbaseよしもとブームにおける、主要メンバーの一人であった。
baseよしもと卒業後は、うめだ花月を舞台の中心とする。
注目の情報
ページ(3/15)
≪前ページ
|
次ページ≫