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マクスィム・クルィヴォニースとは?
ウィキペディア目次へマクスィム・クルィヴォニース(ウクライナ語:Максим Кривоніс, ? - 1648年11月中旬)は、ウクライナ・コサックの幹部でフメリヌィーツィクィイの乱の指揮者の1人、庶民の志願兵の司令官である。
ルィーシャンカ連隊の連隊長(1648年)。
武断派と過激派コサックの親分で「黎民の大将」と呼ばれた。
実姓は不明。
クルィヴォニース(ペレブィイニース)は「折れ鼻」を意味するコサック風の渾名で、「鷲鼻のマクスィム」という通り名になる。目次
1 生涯
2 脚注
3 参考文献
4 外部リンク
ファイル:Samokysh Kryvonis.jpgコンスチャンティーニウの戦い。
クルィヴォニース対ヴィシュネヴェーツィクィイの一騎打ち。
1648年以前のクルィヴォニースについての史料は乏しい。
1648年に出版されたポーランドのパンフレットにおいてクルィヴォニースはポーランド貴族のネムィールィチ家の農奴であると書かれているが[1]、1649年のドイツ側の史料において彼は「スコットランド生まれ」で「幼いころより海軍の兵役になれている」人物であると主張されている[2]。
1648年にポーランド・リトアニア共和国内でフメリヌィーツィクィイの乱が勃発すると、クルィヴォニースの活躍について具体的な記述が登場する。
1648年5月25日から26日までの間、クルィヴォニースはコールスニの戦いにおいてコサック軍の先陣を務め、ポーランド・リトアニア共和国の官軍の背後に罠を仕掛け、そこから敵勢に奇襲をかけてコサック軍の勝利に大きく貢献した。
その手柄によって、反乱の指導者ボフダン・フメリニツキーはクルィヴォニースをルィーシャンカ連隊長に任命し、ポジーリャ地方での志願兵の編成を任せた。
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