トウ芝の解説頁です。
Weblio辞書辞典
>
辞書・百科事典
>
トウ芝
>トウ芝の1ページ目
トウ芝
とは?
ウィキペディア
本来の表記は「
鄧芝
」です。
この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
鄧 芝
(とう し、? -
251年
)は、
中国
後漢
末期から
三国時代
蜀漢
の
行政官
・
武将
・
政治家
。
字
は
伯苗
。
荊州
南陽郡新野(現在の
河南省
南陽市
新野県
)出身。
後漢初期の名臣
司徒
鄧禹
(
雲台二十八将
筆頭)の末裔。
母は鄭天生
[1]
。
鄧良の父。
経歴
劉璋
が統治する時代(
194年
から
214年
)に
益州
(現在の
四川省
東部)に入った。
まだ無名の時期に、益州の従事の
張裕
が人相をよく見ると聞き訪ねていくと、「70歳を過ぎて
大将軍
となり侯に封ぜられる」と評価された。
その後、巴西
太守
の
龐羲
がよく士を好むと聞き身を寄せた。
劉備
が劉璋を打倒して益州を平定すると、転じて劉備に仕え、郫の邸閣の督となった。
ある時に郫を訪問した劉備と語らい高く評価され、以降抜擢されて郫県令・広漢(現在の
四川省
広漢市
)太守を歴任した。
清潔かつ厳格に統治を行って治績を挙げ、
尚書
となった。
223年
、劉備死後の蜀は、跡を継いだ
劉禅
(後主)はまだ少年であり、
魏
・
呉
とも敵対しており危険な状態であった。
呉の
孫権
は劉備の在世時に和睦を求めてきており、劉備も
費禕
達を使者として派遣していたが、劉備の没後は態度を鮮明にしてはいなかった。
鄧芝は
丞相
の
諸葛亮
に請われて呉に使いし、蜀との和平に消極的となっていた孫権を相手に、巧みな弁舌で修好を回復させた。
孫権は魏と断交し、蜀と再び同盟を結ぶことを決め、
張温
を使者として蜀に送った。
孫権は鄧芝の事を高く評価し、諸葛亮に手紙を送り賞賛した。
呉に使いして以来、孫権からは度々手紙や贈物があった。
注目の情報
ページ(1/2)
次ページ
≫
ページTOP▲
Weblio辞書辞典
「トウ芝」の記述に関する著作権
辞書
英和和英
に一致する
で始まる
ランダム表示
|
登録辞書一覧
Weblio辞書辞典
お気に入りに登録
友達にも教える
「トウ芝」の記述に関するお問合せ
Weblio辞書辞典
|
ヘルプ
|
お問合せ
©2012
Weblio