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グレート草津とは?
また、テーズ側の証言として、別冊宝島179『プロレス名勝負読本』中のインタビュー記事「裁きのバックドロップ」(流智美著)において、テーズ本人の証言がある。
それによれば、テーズは当時の国際をテレビ放送していたTBSから、草津に花を持たせるよう、暗に八百長を要求され、憤慨したテーズが草津を返り討ちにしたと言うもの(この談話はプロレスはシナリオ通りに進むものではないという前提で述べられている)。
テーズによると「通常、三本勝負の場合は一本は相手選手に花を持たせてやるものだが、草津はまだまだグリーンボーイに毛が生えた程度。
全米でメインイベントを取っている私が、そんな駆け出しに一本でも許すなんて、冗談じゃない」と語っていた。
テーズはこの回想において、草津戦の直後に行われたレスリング東京オリンピック代表だったサンダー杉山や、元幕内力士・WWA世界王者で力道山のパートナーだった豊登との試合では「一本取らせて花を持たせてやった」「杉山や豊登と草津にはそれだけの実力差があった」と述べている。
テーズ戦後しばらくは低迷したがまもなく立ち直り、パワー、スピード、テクニックを備えた国際の中心レスラーとして長く活躍した。IWA世界タッグ王座を計5人のパートナーと長く保持した他、英国西部ヘビー級および同南部ヘビー級王座、ヨーロッパタッグ王座なども獲得した。ビル・ロビンソンら欧州勢にはテクニックでわたり合う一方、ワフー・マクダニエルにはインディアン・ストラップ・マッチで勝利するなどラフにも強く、オールラウンドタイプのレスラーであった。
アメリカ遠征でもバーン・ガニアのAWA世界ヘビー級王座に何度も挑戦するなど実績を残した。1971年12月にはネブラスカ州オマハにおいてガニアを倒し一度は世界王座を手にしたかに思えたが、草津の反則があったため、判定が覆り幻の王者となっている。
覆面レスラーのザ・キラー(正体は初代ザ・マミーのベンジー・ラミレス)と日本初のチェーン・デスマッチを行ったこともある。
試合はチェーン装着前にキラーが草津に襲い掛かり、早々に流血させられたが最後はバックドロップで草津が逆転勝利している。
顔面を血で染めた草津が、チェーンでキラーの首を締め上げるシーンはなかなか迫力があった。
因みに国際プロレスはラッシャー木村の「金網デスマッチの鬼」に対抗して、草津を「チェーン・デスマッチの鬼」に仕立て上げようとしていた時期があった。
しかし、日本では単独エースの立場になることは遂になく、主にエースのストロング小林やラッシャー木村らの二番手でタッグ王者が定位置だった。
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