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ギルバート・オサリバンとは?


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ギルバート・オサリバンGilbert O'Sullivan1946年12月1日 - )は、アイルランド出身の歌手シンガーソングライター
本名:レイモンド・エドワード・オサリバン (Raymond Edward O'sullivan) 。
代表曲に「アローン・アゲイン」(Alone Again - Naturally)や「クレア」(Clair)などがある。
出身はアイルランドだが育ったのはイギリスである。

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1 経歴
2 ディスコグラフィー&フィルモグラフィー
2.1 オリジナル・アルバム
2.2 ライブアルバムおよびベストアルバム
2.3 DVD
3 関連項目
4 外部リンク

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経歴

大学在学中にバンド活動を始めた彼は、1960年代中盤に自らが作詞・作曲を手がけたオリジナル作品のデモテープをあらゆる音楽出版社に売り込む。
そして1967年CBSより、シングル『Disappear』でデビューする。
2年後の1969年、彼はトム・ジョーンズなどのマネージャーとして知られるゴードン・ミルズの主宰するMAMレコードと新たに契約。
そして翌1970年、シングル「ナッシング・ライムド」 (Nothing Rhymed) をリリース。
この曲は全英シングルチャートで最高8位まで上昇するヒットになる。
またこの曲が収録されたアルバム『ヒムセルフ~ギルバート・オサリバンの肖像』 (Himself) は全英チャートで最高5位をマーク、86週にわたってランクインするロングセラーとなり、一躍彼はスターダムにのし上がる。1972年には、シングル「アローン・アゲイン」 (Alone Again - Naturally) が世界的に大ヒット。
とりわけアメリカではビルボードで6週連続1位、同年の年間シングルチャートでは2位を記録するほどの大成功を収めた。
同時期に発売されたアルバム『バック・トゥ・フロント』も全英で№1を獲得し、その後彼は「ゲット・ダウン」 (Get Down)や「クレア」、「ウー・ベイビー」 などをはじめ、主に欧米と日本を中心に1970年代前半に、次々とヒットを連発した。
プロデューサーであったゴードン・ミルズとは家族ぐるみの親交があった(代表曲のひとつ「クレア」で歌われているのはミルズの末娘の事である)が、その後、音楽的な方向性や、さらにロイヤルティーの分配などをめぐって関係が悪化していき、ミルズとの間に決定的な亀裂が生じてしまった。
最終的にはオサリバンがミルズを相手取って訴訟を起こす事態にまで発展してしまう。
裁判自体は1984年にオサリバン側の勝訴という結果となったが(その後ミルズは1986年に51歳で死去している)、数年にわたる裁判のために音楽活動は停滞。
人気にも翳りが見えはじめ、またオサリバン自身も半ば人間不信に陥っていたこともあり、1980年代は音楽業界から長らく遠ざかっていた。1990年代のはじめごろからはシーンに復帰し、自らの半生をモチーフとしたミュージカルのスコアを書いたり、サッポロビールのCMのために新曲 (Taking a Chance on Love) を書き下ろしたりと、マイペースながら精力的に創作活動を続けている。
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