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アンタッチャブル (お笑いコンビ)とは?




1990年代後半 - 2001年には、くりぃむしちゅーアンジャッシュとの3組で結成したユニット「ゲバルト一族」のオムニバスライブで人気を博した。
1999年、『爆笑オンエアバトル』(NHK)に第2回から出演。
毎回高得点をマークし、注目を集める。2004年に出場した北見収録回では、2004年度1位・歴代2位・自己最高の541KBを獲得している。
 チャンピオン大会では、第4回を除くすべての大会でファイナル出場するも毎回優勝を逃していたが、2004年3月の第6回大会で念願の優勝を果たした。
2003年M-1グランプリ』(ABCテレビ)で敗者復活戦を勝ち上がり、最終決戦進出(結果3位)。
これをきっかけにテレビ出演が増える。
2004年『M-1グランプリ』優勝。
同年10月から『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日)にレギュラー出演。
2005年4月から『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日)にレギュラー出演。
2007年5月、恵比寿ザ・ガーデンルームにて、芸歴15年目にして初の単独トークライブ「アンタッチャブルトークライブ『っていうか、断りゃよかった。
』」を行った。
2009年8月、草月ホールにて、「アンタッチャブルのシカゴマンゴ“他力本願”ライブ2009」を開催。
2010年2月 - 2011年1月、体調不良のため柴田が約一年間芸能活動を休業した。
コンビでの活動は柴田復帰後も行われておらず、現在はそれぞれがピンで活動を行っている[1]
2012年4月7日放送の「エンタの神様 今夜限りの最強爆笑ネタSP」過去のコント映像が放映された。

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M-1グランプリ

2003年(第3回)大会

 準決勝で敗退するも、敗者復活枠から決勝進出。
敗者復活で勝ち残れると思っていなかった2人は前日、別々のところで徹夜マージャンをしていた。
 敗者復活決定時、おぎやはぎ小木博明はメンバー以上に喜び(あまりの喜びっぷりに山崎は「おぎやはぎが勝ち上がったのかな?」と思ってしまったほどだった)、最終決戦進出決定後には入ってはいけないはずの出演者控え室に戻ってきてしまい、最終決戦に臨むネタ(親友)も決めてしまった。
 最終決戦では3位に終わったが、大会委員長の島田紳助は「来年は本命じゃないかと思うくらい凄かった」とコメントを残している。
 1本目「ファーストフード店」のネタでは、柴田のツッコミに対してラサール石井に「彼(柴田)のツッコミが普通ではない。
僕はもう一度それを見たい。
」と評された。
また、このネタの一部分で2丁拳銃のネタと同じボケ(二人とも自動ドアを開けてしまう部分)をしてしまい、一時期「前のコンビがウケていたからそのギャグをやっちゃった大胆なコンビ」と思われていた。
実際は、決勝戦本番中(2組目の後)に敗者復活枠が決定するため、敗者復活組が5番目前後のネタを見ることはできずに偶然かぶってしまった(木曜JUNK「アンタッチャブルのシカゴマンゴ」2006年8月31日、2008年12月25日などでたびたび話題にしている)。
なお、2丁拳銃はアンタッチャブルが3位になったことで4位に落ち、10年目の最後の年に決勝進出できなかった。
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