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おぎやはぎとは?




笑うところで無表情。
立つべき場所では一切立たず、声を上げるべき時でも物静かに構えるなどを行っていた。
結果として他の若手芸人とは違い一歩引いた立場を維持するというスタンスで注目を浴び、若手ブームの中ブレイクを果たした。

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エピソード

 ゴールデン番組で初めてネタを披露した際、9割放送禁止用語のためピーが入って何を言っているか分からなかったという伝説がある。
 人力舎所属以前に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の前説をやっていた時期がある。
 人力舎所属以前は、どこにも属さずフリーで活動してからナベプロロンドンブーツ1号2号やフローレンス(ネプチューン原田泰造堀内健が組んでいたコンビ)が当時は研修生としていた)、ホリプロなど東京の事務所を転々としていた時期がある。
 2人の出会いは高校だった。
2人とも東京都立北野高等学校卒業。
中学から電車が一緒でお互いに気になる存在だったそう。
 サラリーマン時代(貿易会社)、矢作は要領がいいため仕事ができ、上海支店の営業部長の椅子を用意されているほどだったが、忙しさや息苦しさ、殺伐とした単調な生活が苦しくなりホームシックになる。
また、矢作はサラリーマン時代の仲間と飲んで近況を聞いたところ、外資系に引き抜かれたり、海外で働いて良い生活を送っている人たちばかりだったそう。
 無名時代、二人にはサラリーマン時代の蓄えがあったため、オーディション会場にお互い外車で行っていた。
「あいつらただものじゃない。
妙な仕事でもしているんじゃないか」と羽振りの良さを不思議がられていた。
 オーディションでコンビ名を決めず、とりあえず「小木と矢作」と書き部屋に入ると、次は「おぎやはぎ」と言われそれをそのままコンビ名にした。
他のコンビがぎりぎりまで練習するのに、集合時間に間に合いそうになかったら次の機会(オーディション)にするほどマイペースだった。
 サッカーゲームの『ウイニングイレブン』が好きで、加藤浩次軍団 VS 田村淳軍団で対決したりもしていた。
 さんまのSUPERからくりTV』に出演することが夢だったらしく、プロレスラーの中西学が相談者の悩みを解決する「熱いプロレスラー中西学のお悩み相談バーベキュー相談亭」のコーナーに出演を果たした。明石家さんまは絶賛している。
 2人とも東武東上線沿線出身で、『うたばん』に出演すると、同じく東武東上線沿線出身の石橋貴明と「東上線組」として、ゲストや中居正広をそっちのけで盛り上がることが多い。
また、石橋貴明はおぎやはぎの芸風が好きである。
 デビューしたのが遅いため年下の先輩芸人が多い。
そのため年下の先輩芸人(ロンドンブーツ1号2号、バナナマン、アンジャッシュ、有吉弘行など)におぎやはぎがタメ口を使うといった奇妙なケースもある、芸人からもおぎやはぎとTIMは芸歴の差に関わらず、芸人の間でタメ口をきいていいと許されている[1]
 徹子の部屋』に出演した際、ショートコントを披露して黒柳徹子に珍しく大爆笑される。
徹子曰く「そうくるとは思わなかった」。
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