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いすゞ ベレルとは?
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いすゞ自動車が1962年から1967年まで製造していた乗用車である。目次
1 概要
2 車名の由来
3 歴史
├3.1 初期型
└3.2 後期型
4 機構
5 モータースポーツ
6 関連項目
7 参考文献
8 外部リンク
英国ルーツ・グループとの技術提携で国産化したヒルマン・ミンクスの提携期限切れを前に、いすゞ初の自主開発乗用車として開発され、1961年10月16日に発表、さっそくその年の全日本自動車ショウに参考出品された。
設計目標は「ヒルマンの長所を生かし独自設計を加味」することに置かれ、タクシー業界への販売を有利にする6人乗りとすることが絶対条件とされた。
この結果、自家用向け主体だったヒルマンより一回り大きい、トヨタ・クラウンや日産・セドリック、プリンス・グロリアをライバルとする中型セダン(およびライトバン)となった。
また、日本初の量販ディーゼル乗用車(これ以前にもクラウンのディーゼル版が少数ながら生産された)であり、1963年には日本機械学会賞を受賞している。
形式名はPA10(ディーゼルモデルはPAD10)。
ヒルマン・ミンクスの後継モデルとして企画されたが、構造、生産、販売の各方面で根深い欠点・問題を抱えており、早くから不人気モデルに陥って、1世代で生産を終えた。
いすゞの社名の由来でもある五十鈴川。
五十はローマ数字で「エル」、鈴の「ベル」にその「エル」を合成し、「ベレル」と命名したとされる。
ベレルの車型は、大別すると初期型と後期型に分けられるが、デザインの基調が明確でなかったこと、初期トラブルが頻発したこと、そして後発メーカーゆえの販売力の弱さもあいまって、自家用車としては先発のクラウン、セドリック、グロリアのような人気は得られなかった。
オーナードライバー需要の方面では既に旧式化していたヒルマン・ミンクスが根強く売れ続けたため、1964年まで並行して継続生産されたほどであった。
初期トラブルは設計上の不備もさることながら、ベレル発表と同時に操業開始したいすゞ藤沢工場の生産立ち上げ失敗が原因であった。
不慣れな試験工が新しい生産設備を扱ったため組立部品の精度が低く、生産立ち上げの1962年1月には遂に1台も完成しなかった。
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